圓明寺について

真宗大谷派 圓明寺

圓明寺(えんみょうじ)は弘前公園の南側に位置する新寺町にある真宗大谷派の寺院です。創建は1499(明応8)年。念西房宗慶(源頼政13代後裔)が開いたのが始まりと伝えられています。本堂は青森県内に現存する浄土真宗の本堂建築としては最古といわれ、青森県重宝に指定されています。

真宗大谷派について

本堂にまつられている親鸞聖人の肖像画

圓明寺が属する真宗大谷派は、真宗十派の一つで、京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の根本道場である真宗本廟(東本願寺)を本山としています。

真宗本廟の寺地は、1602年(慶長7年)に徳川家康によって寄進され、その後江戸期に四度の火災に見舞われます。現在の主な建物は明治期に造営され、宗祖親鸞聖人の御真影を安置する御影堂は、伝統工法による寺院建築としては世界最大級の木造建築であります。2023年(令和5年)までには、境内地の多くの建物が国の重要文化財に指定されています。

真宗では、阿弥陀如来一佛を本尊とし、阿弥陀如来の本願を信じて念仏する人は、誰でも阿弥陀如来のはたらきによって浄土に往生できるという教えがあります。自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「自力念仏」ではなく、阿弥陀如来を信じ報恩謝徳の心とともに唱える「他力念仏」が真宗の念仏なのです。

このことからも、真宗の仏事は、故人の供養や成仏のために執り行われるものではないとされています。これは亡くなったらすぐに阿弥陀如来のはたらきによって浄土に迎えられるとされているからで、霊という考え方もないのです。

また、肉を食べてはいけないというような戒律もなく、ただひたすら阿弥陀如来を信じること、その「信心」という感情自体も阿弥陀如来から授かったものだという考えなので、たとえ現世で様々な煩悩に支配されながらもそのことに気づけない人でも、阿弥陀如来の力があれば極楽浄土へ行けるということになります。このことが他の宗派との大きな違いであり、「救済」として受け入れられ、多くの庶民に広まったと考えられています。

宗祖親鸞聖人について

本堂にまつられている親鸞聖人の肖像画

親鸞聖人は1173(承安3)年、京都・日野に生まれました。9歳で出家し、比叡山で20年間、厳しい修行を経験しました。そこでの修行で真実の救いを見出せず、29歳で比叡山を下山。聖徳太子が建立した六角堂に参籠し、法然上人のもとを訪ね、はじめて本願念仏に目を開きました。

その後、法然上人の吉水教団は既成の仏教教団や国の反感・弾圧を受け、35歳の時に親鸞聖人は越後の国(新潟県)に流罪となりました。しかし、親鸞聖人は越後の国で人間として強く生きる人々と出会い、恵信尼公との間に子どもをもうけ、一生活者となって生きていきます。

40歳を過ぎ、親鸞聖人は家族と共に関東に拠点を移し、約20年間、本願念仏の教えを縁ある人々に伝えることを使命としました。60歳を超え、生まれ故郷・京都に戻った親鸞聖人は、真宗の根本聖典である「顕浄土真実教行証文類(教行信証)」を残すなど、多くの著書を世に出し、1162(弘長2)年にその生涯を閉じました。

歴史

約100年前の本堂
施主 宮崎忠兵衛・宮崎喜兵衛

第56代天皇・清和天皇より9代の苗裔、源三位といわれ、源頼政の13代末裔にあたる念西房宗慶(俗名・下間右近佐宗時)が油川村(現青森市)に下着(げちゃく)し、1499(明應8)年に小さなお寺を建立したことがはじまりと伝えられています。1585(天正13)年の外ケ浜平定の際、津軽藩祖・津軽為信に味方した功により1606(慶長11)年、弘前寺町(元寺町)に移り、圓明寺と号することになりました。1649(慶長2)年の「寺町大火」で類燃し、1650(慶安3)年に現在の地(新寺町)へ移転。しかし、移転した後にまた火災となり、現在の本堂は当時の総代・宮﨑氏が二百両の私財を投じて1764(明和元)年に再建したと言われています。

本堂について

圓明寺本堂外観
圓明寺本堂内観
金箔貼り・漆塗りされた内陣 金箔の装飾 挿肘木で支えられた虹梁 廊下照明

青森県内の真宗の本堂建築としては最古のもので、1994(平成6)年には青森県重宝に指定されました。近世本堂建築の特徴を表している貴重な遺構であり、高い屋根造りと角柱を用いた立柱、挿肘木で支えられた雄大な虹梁や内陣の金箔貼り・漆塗りなど、意匠的にも優れています。

文化財の種類

県重宝(建造物)

指定書

指定書番号:青宝第135号

青森県文化財指定書

構造及び形式

入母屋造、向拝一間、鉄板葺、北面切延石の基礎に土台を廻して角柱を立て、足固貫(あしがためぬき)、腰貫を通して船肘木を置いている。軒は一軒の延垂木。内部には来迎柱以外の円柱はなく、虹梁がかけられている箇所も少ない。挿肘木(さしひじき)で支えられた大虹梁は雄大であり、挙鼻付きの蟇股(かえるまた)を置き、柱上には挙鼻付き出三斗である。廊下と参詣の間との境に並ぶ竹の節欄間は意匠として注目される。

大きさ

桁行 17.190メートル
梁間 18.140メートル
向拝の幅 5.760メートル
建築面積 333.38平方メートル
(約100.72坪)

修復事業

修復時の記録写真 本堂外観
修復時の記録写真 骨組
修復時の記録写真 内観

2004(平成16)年10月から2007(平成19)年3月まで、全解体による耐震補強を施した平成の大修理が行われ、天井の仕上げや雨戸の取り付けなど、ほぼ建築当初の状態に復元しました。建築から250年以上が経過し、全体的な傷みだけでなく、1991(平成3)年の「りんご台風(台風19号)」による被害や小屋組および床組の腐朽や礎石の沈下など、倒壊の危険性が大きい状態にありました。修理には門徒をはじめとする一般寄進者や文化財保存事業として多くの支援があり、3年近い修理工事の末、無事に終えることができました。

年中行事

報恩講の様子
報恩講
永代経の様子
永代経

イベントなどのスペース貸し出しについて

過去に開催されたコンサート
大広間のイベントスペース
過去に開催された音楽映像イベント

大広間のイベントスペースは27坪(約90平方メートル)の広さがあり、ヨガや音楽イベント、ワークショップといったイベントスペースとしての貸し出しを行っております。法事・法要の会食(お斎)での貸し出しはもちろんのこと、テーブルや椅子、プロジェクターなどの備品の貸し出しできます。また、大広間のほか、本堂の貸し出しも行っております。詳しくはお問い合わせください。